大嶽部屋の現親方は誰?元大竜の経歴と貴闘力交代の真相に迫る
大相撲の歴史において「不滅の69連勝」を誇る昭和の大横綱・大鵬が遺した名門「大鵬道場」。その魂を今に受け継ぐ大嶽部屋の屋台骨を支え、数々の逆境を乗り越えて部屋を躍進させている現在の師匠に、いま改めて強い関心が集まっています。
看板力士である大鵬の孫・王鵬をはじめとする若手の成長が著しい中、「いまの大嶽親方は誰なのか?」「かつて師匠を務めた貴闘力とはどのような関係にあるのか?」という疑問を抱く相撲ファンは少なくありません。激動の交代劇から現在に至る軌跡と、知られざる指導の真髄を掘り下げます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:現在の大嶽部屋師匠は、大鵬の直弟子である17代大嶽親方(元十両・大竜忠博)。
- 要点2:2010年の野球賭博問題による貴闘力(16代大嶽)解雇という部屋消滅の危機を、元大竜が救う形で継承した。
- 要点3:江東区清澄の地で「大鵬道場」の看板を守り抜き、貴闘力の息子である王鵬らを幕内上位へ育て上げる手腕と温厚な人柄が高く評価されている。
【大嶽部屋の親方は誰?】大鵬道場を救った現師匠・元大竜の正体
現在、東京都江東区清澄に構える大嶽部屋の師匠を務めているのは、17代大嶽親方です。現役時代の四股名は大竜 忠博(だいりゅう ただひろ)。昭和の大横綱・大鵬が創設した大鵬部屋の生え抜き力士として土俵に上がり続けた人物です。
相撲ファン以外には「大嶽部屋=貴闘力」というイメージが今なお残っているケースも見受けられます。しかし実際には、2010年7月に17代大嶽を襲名して以降、15年以上にわたり部屋の舵取りを一手に担い続けています。
派手な自己主張を好まず、常に弟子の後ろから温かい眼差しを注ぐ職人肌の親方ですが、土俵にかける情熱と部屋を守り抜く責任感の強さは角界内でも折り紙付き。まさに大鵬道場の精神的支柱として、部屋の安定と躍進を支えています。
【経歴と現役時代の成績】元十両・大竜忠博が歩んだ叩き上げの相撲人生
17代大嶽親方こと大竜忠博の足跡を振り返ると、決してエリート街道を進んだわけではない「叩き上げ」の凄みが浮かび上がってきます。
兵庫県高砂市出身の大竜は、1976年(昭和51年)春場所に大鵬部屋から初土俵を踏みました。現役時代の体格は180センチ前後、体重110キロ台と、力士としては決して大柄ではありませんでした。しかし、低く鋭い踏み込みからの粘り強い押し相撲と左四つからの寄りを武器に、番付を一段ずつ着実に上げていきます。
最高位は西十両4枚目。関取在位は通算10場所に及び、幕下と十両を行き来する苦労を重ねながらも、1997年(平成9年)秋場所まで実に21年半、通算1000回以上の土俵を務め上げる息の長い現役生活を全うしました。幕内経験こそないものの、大鵬直伝の基本を忠実に守り抜き、ケガにも負けず土俵を務め上げた経験こそが、現在の卓越した育成眼の礎となっています。
【師匠交代の真相】貴闘力の電撃解雇と「大鵬道場」消滅危機の舞台裏
大嶽部屋の歴史を語る上で避けて通れないのが、2010年夏に角界を揺るがした野球賭博問題と、それに伴う電撃的な師匠交代劇です。
2003年、大鵬親方の停年(定年退職)に伴い、娘婿であった元関脇・貴闘力が16代大嶽を襲名し、部屋を継承しました。2005年には部屋の名称も「大鵬部屋」から「大嶽部屋」へと改称され、順風満帆に見えた船出でした。しかし2010年7月、野球賭博への関与が発覚したことで、日本相撲協会は貴闘力に対して最も重い処分である「解雇」を下します。
師匠が不在となった部屋は、通常であれば即座に閉鎖・解散となり、所属力士は他部屋へ分割移籍させられるのが角界の慣例です。大横綱が築き上げた名門「大鵬道場」の歴史が完全に途絶えかけた瞬間でした。
この壊滅的危機に立ち上がったのが、当時部屋付き親方として後進の指導にあたっていた元大竜でした。急遽、名跡を取得して17代大嶽を襲名し、師匠に就任。バラバラになりかけた弟子たちをまとめ上げ、部屋の存続を正式に認めさせたのです。火中の栗を拾う決断をした元大竜の存在がなければ、現在の大嶽部屋はこの世に存在していませんでした。
【貴闘力との複雑な関係と現在】大鵬の孫・王鵬を預かる覚悟と指導方針
師匠交代の経緯から、世間では「前師匠の貴闘力と現師匠の大竜の間に確執があるのではないか」と勘繰る声もありました。しかし、土俵の内外で起きた現実は、そうした邪推を一蹴するものでした。
その最たる証拠が、貴闘力の息子たちの大嶽部屋入門です。貴闘力の次男(鵬山・納谷)、三男の王鵬(納谷幸之介)、四男の夢道鵬が、父を解雇処分にした後の大嶽部屋の門を叩きました。特に三男の王鵬は「大鵬の孫」として入門時から空前の注目を集める重圧を背負っていました。
不祥事で去った前師匠の息子たちを、現師匠の大竜は一切の偏見なく温かく迎え入れました。そこにあったのは、大鵬への深い恩義と「預かった弟子は命懸けで育てる」という指導者としての揺るぎない覚悟です。
大嶽親方の指導方針は、「礼儀作法の徹底」と「泥臭い基本の反復」に尽きます。派手なパフォーマンスや目先の勝利を追うのではなく、四股、すり足、鉄砲といった基礎稽古を愚直に課すスタイル。王鵬に対しても特別扱いは一切せず、相撲協会の看板を背負う力士としての所作と言動を厳しく叩き込みました。この愚直な指導こそが、王鵬を幕内上位で大関陣と互角に渡り合う本格派力士へと成長させた原動力です。
【江東区清澄の拠点と所属力士一覧】王鵬躍進の裏にある大嶽親方の育成力
大嶽部屋が拠点を置く東京都江東区清澄2丁目の敷地は、大相撲ファンにとって特別な聖地です。敷地内にはいまも「大鵬道場」の看板が誇らしげに掲げられており、下町の情緒が残る清澄白河の街に深く根付いています。
大嶽親方が丹精込めて鍛え上げる現在の陣容は、若手からベテランまで活気に満ち溢れています。
【大嶽部屋のおもな所属力士一覧(最新動向)】
- 王鵬 幸之介(おうほう):前頭上位。昭和の大横綱・大鵬の孫であり、部屋のエース。力強い突き押しと右四つの相撲で三役定着を狙う。
- 夢道鵬 幸成(むどうほう):王鵬の弟(貴闘力の四男)。兄の背中を追い、幕下上位から関取復帰・定着を目指して奮闘中。
- 極芯道 貴裕(ごくしんどう):元十両。長年部屋を支える実力派として、若手の壁となり稽古場を盛り立てる。
- 若手・序ノ口〜幕下力士衆:全国から集まった有望株が、清澄の土俵で朝早くから激しい申し合いを繰り広げる。
特筆すべきは、力士たちの「怪我の少なさ」と「息の長い相撲人生」です。親方自身が20年以上現役を務めた経験から、無理な増量を避け、体幹を鍛え抜く稽古メニューを導入。土俵上での礼儀正しさも含め、玄人筋の相撲ファンを唸らせる相撲部屋となっています。
【角界屈指の人格者】大嶽親方(元大竜)の評判とファンから愛される理由
相撲界関係者やファンに大嶽親方の印象を尋ねると、判で押したように「誠実」「温厚」「誰からも慕われる人格者」という言葉が返ってきます。
部屋の継承という極限のプレッシャーに晒されながらも、愚痴ひとつこぼさず、先代への敬意と大鵬道場の看板を守り抜いた姿は、日本相撲協会の内部でも極めて高く評価されています。審判委員などの重職を務める際にも、公平無私で落ち着いた立ち居振る舞いが光ります。
また、地元・江東区清澄の住民との交流も大切にしており、地域イベントへの参加や子どもたちへの相撲指導など、地域密着の姿勢を崩しません。稽古見学に訪れるファンに対しても丁寧で腰が低く、「親方の人柄に惹かれて大嶽部屋のファンになった」というサポーターが後を絶たないのも納得の理由です。
【大嶽部屋の親方】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:大嶽部屋の現在の親方は誰ですか?
A1:現在の親方は、元十両・大竜の17代大嶽親方(大竜 忠博)です。2010年7月から師匠を務めています。
Q2:貴闘力とは現在どのような関係ですか?
A2:直接的な部屋の運営関係はありませんが、貴闘力の息子である王鵬や夢道鵬を預かり、関取へと育て上げています。確執などはなく、大鵬道場の血統を受け継ぐ力士たちを大切に指導しています。
Q3:大嶽部屋と「大鵬道場」はどう違うのですか?
A3:大鵬部屋が前身であり、部屋の敷地・建物そのものが「大鵬道場」です。現在の部屋の看板にも「大鵬道場 大嶽部屋」と併記されており、同一の系譜を持つ相撲部屋です。
Q4:大嶽部屋の所在地はどこですか?見学はできますか?
A4:東京都江東区清澄2-8-3にあります。本場所前などの稽古期間中、時期や状況によって稽古見学を受け付けている場合があります(※要事前確認・マナー厳守)。
まとめ:伝統と信念が紡ぐ大嶽部屋の未来とさらなる飛躍
かつて絶体絶命の危機に瀕した名門・大嶽部屋。その危機を救ったのは、派手な実績を誇るスター力士ではなく、21年間ひたむきに土俵を務め上げた元十両・大竜の静かなる覚悟でした。
大鵬が遺した偉大な遺伝子と道場を護持し、貴闘力の忘れ形見である若武者たちを真正面から育て上げる現在の姿は、相撲という伝統文化の美しさを体現しています。大関・横綱へと駆け上がろうとする王鵬の背中を押す大嶽親方の手腕に、これからも熱い視線が注がれ続けます。 (出典: 大嶽 部屋 親方(Yahoo!ニュース))